親とこどもの関係

先日ウチの両親と旦那のお義母さんとのことを書いたけど、それから進展がありました。

ウチの父が2週間、旦那のお義母さんが1週間、ウチの母が10月以降日数未定で来てくれることになりました。

来てくれるだけありがたいよね。行けないと言った1日後に父だけ来る、という選択に切り替えた両親。うーん…うまく言えないけど決断力に欠けてるのかな?だったら最初から調整してみる、くらい言えなかったのか…とか思ってしまう。。

でも母が9月は来れない、これは一貫してたな。ここから考えるに母は仕事が1番大事なんだと思う。娘の身体やお腹の子の事よりも自分を必要としてくれる(必要としてくれていると思いたい)仕事が1番。それはそれで潔いよね。私自身はこうなりたいかって言われたら、絶対になりたくないけど、母には母の信念があるのだな、と思った。

でもイラッとしたことがあって…。従姉妹から「おばちゃんが来てくれるなら安心だね!」って言われたんだけど、いやいやいやいや!!来るのはお父さんです!!!!たぶん母は従姉妹に「自宅安静になったから行ってお世話するんだ〜」的なかんじで言ってると思うんだけど、まずはお父さんが行ってくれるっていうことを言うべきじゃない?自分が「凄いね〜偉いね〜大変だね〜」って言われたいだけって感じちゃう。

 

ウチの母は承認欲求が強い。

ウチの父は心配性で過保護。

 

この2人と上手くやっていけるのか。

私がこのことについて考えているときに浮かんだ言葉【子離れできない親】

まさにウチはこの典型例だと思う。

今の私が思うことは、自分は【子離れ】という概念を持ちたくない。そもそも子離れしないといけない状況になるのは、子どもをひとりの人格として受け入れていないからだと思う。生まれたときからこの子はこの子、この子も1人の立派な人間、だと思っていたら子離れもなにも親が子どもに依存すること自体がありえないと思う。自分とは別の人だと言う考えが曖昧で、子どもは自分のモノ、自分の所有物と勘違いしている親にだけ【子離れ】というのは訪れるのではないか。

 

もちろん親だから子どものことが心配なのはわかる。失敗させたくない、間違って欲しくない、この気持ちが強い親はそれだけ子どものことが大好きで思いやりがあるのだと思う。

だけど、これがこどもを苦しめている、成長の妨げになっているということに気付いていない。子どもの挑戦してみたい、という好奇心の目を摘み、決断させる機会を奪い、思考停止の負のループにはめようとしていることをわかっていない。

 

ウチの親は未だにこれだ。私たちの言う通りにすれば間違いない、私はあなたのためにこれだけやってるから言うことを聞いて当然だ(こどもに見返りを求めている)、こうした方がよい、こうするべきだ(支配)、私の意見や価値観なんてお構いなしの行動や言動。

そんなに私って危なっかしいのかな、そんなに私って間違った判断ばかりしてるのかな、って思えてくる。じゃあ言う通りにやっとこ〜、そしたら失敗しないし〜。はい、思考停止のはじまり。そして自分で決断したことじゃないから失敗したときに他人のせいにしてしまう。

 

恐ろしい!!!

こんな負のループは絶対に私で止めなきゃいけない。自分の子どもに絶対にしたくない。そのために私は変わらなくてはいけない。意識しないとできないことだし、簡単なことではないけれど変わる努力は絶対にする。

 

親が子どもに願うことは1つ

【幸せになってほしい】

だからやり方ではなく自分のあり方を考える。

 

親が子どもにできること

【子どもを信じる】

自立した大人になれるよう見守る。

 

この第二子、自宅安静生活で自分の時間がたくさん増えたのでもっともっと、自分の考えを掘り下げていきたいな、と思う。